History 常楽寺の歴史
南石山常楽寺(なんせきざんじょうらくじ)は、埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺院。
元は、秩父地域唯一の天台宗寺院でした。明治十一年秩父の大火により、境内建物は全焼。歴史を語る古文書等は、焼失したため、歴史を物語る文物は、残っていません。
常楽寺の歴史は古く、その始まりは鎌倉時代まで遡ります。
時の天皇は四条天皇、幕府将軍は藤原頼経でした。
常楽寺総年代記
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- 文暦元年(1234年)
- 秩父札所が創設、本尊に十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)を祀った小さな祠が常楽寺の始まりです。「札所」とは、巡礼の証として、様々な思いや願いを込めた木札をお堂に打ち付け、納める場所でございました。
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- 江戸時代(1603年〜)
- 江戸時代になり庶民の生活に余裕が生まれてくると、それまで一部の修行僧のみが行なっていた巡礼が庶民の間で一大ブームとなり、秩父札所は、多くの江戸庶民の観音信仰巡礼の聖地として大変賑わいました。
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- 寛延3年(1750年)
- 江戸と距離の近い秩父は、道中に関所も無く気軽に巡礼が可能であったこともあり、総開帳の年の1月~3月には、4~5万人の参詣者があったとの記録が残っております。
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- 明治11年(1878年)
- 再建から77年が経った明治11年、秩父市街約4万坪を焼き尽くした「秩父大火」によって御堂は再び焼失してしまいます。仁王門を擁する広大な境内地は、跡形もなく焼失していましました。
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- 明治中頃
- 秩父大火の被害は大きく、天台宗常楽寺は、廃寺となりました。地域の方々の力により、仏様は、守られてきました。
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- 大正年代
- 秩父札所の護持に心血を注いだ、十三番慈眼寺住職柴原弘道は、常楽寺の行く末を案じ、常楽寺の管理に取り組み始めます。地元の人たちの協力を得て、慈眼寺境外仏堂として、法的に保護することができるようにしました。
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- 昭和54年
- 柴原弘道の三男羽金文雄が、常楽寺を宗教法人として慈眼寺から独立し、曹洞宗宗教法人常楽寺として正式に設立認証を得ました。開山を柴原弘道、2世として羽金文雄となりました。
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- 現在
- 西国三十三所・坂東三十三箇所と併せて「日本百観音」に数えられる「秩父三十四観音巡礼※」。その第十一番目として、慈眼寺は秩父札所巡りをする多くの参拝者に親しまれております。
※秩父地方にある全34箇所の観音霊場の総称